刚才看到一篇日语文章,说女人是取男人的肋骨做成的是误译导致的觉得很有道理,所以简单翻译了一下,我来为大家讲解一下关于历史上有名的错误?跟着小编一起来看一看吧!
历史上有名的错误
刚才看到一篇日语文章,说女人是取男人的肋骨做成的是误译导致的。觉得很有道理,所以简单翻译了一下。
旧约圣经、创世纪第二章第22项中记载,女人是取了一根男人的肋骨做成的。这对女性来说不是没有意思的事情吗?因此,如果旧约圣经的记载是由于苏美尔语的误译而引起的,对女性来说不是件好事吗。 不仅是女性,看到写着“男人(亚当)的肋骨里造了女人”,我觉得很奇怪为什么是“肋骨”。我也是其中一人,有一次查了一下。 在调查的过程中,我们发现,用希伯来语写的旧约圣经的内容,是从公元前3500年左右开始持续了约1000年的美索不达米亚的苏美尔文明时代的神话、传说的余韵。这意味着创世纪被从苏美尔语翻译成希伯来语而创造的部分很多。 用苏美尔语写的美索不达米亚世界最古老的故事,吉尔伽美什史诗中,有和创世纪诺亚方舟大洪水一样的故事。 相当于创世纪“肋骨之女”的苏美尔语,叫做“Nin-Ti”Nin”,是女性的意思。而且“Ti”有很多意思,希伯来语的说话者把Ti翻译成了‘肋骨’是错误的根源。 从结论来说,我认为不是‘肋骨’的女人,而是应该翻译成‘有生命之母’的女性’。 根据苏美尔・阿德卡语对法辞典,Ti有着不同的几个意思。表示身体或构造体的一部分时,表示“肋骨”或“船的龙骨”等意思。但是同时也有“有生命”、“活着”、“治愈”的意思。 因此,希伯来语的说话者应该使用“有生命”这一方,即使Ti有肋骨的意思,也可以不说是取出了亚当的肋骨做成了夏娃。 顺便说一下,如果将两个Ti并列为Ti-Ti的话,乳房、丰胸、Ti-AMAT就是海的意思。不管怎么说,Nin-Ti翻译成“有生命之母的女性”比较自然。 但是,如果翻译成“所有活着的人的母亲”的话,就会和母亲大地、丰收的女神、地母神崇拜、水神、掌管天气的神等多神教联系在一起,在希伯来人的一神教的世界里不太方便,所以可能特意翻译成了肋骨的女人。 在犹太教、基督教以前的美索不达米亚文明、克里特岛的米诺亚文明、古希腊文明和日本的绳文文明等古代文明圈中,作为自然生命的源泉,同时作为生命之墓的大地作为掌管永远生命再生循环的女神即地母神=“有生命之母”来看待女性。 以基督教一神教为中心的西洋文明,以及被西方化的社会,作为应该征服自然的东西持续破坏的结果,地球环境变成了威胁人类可持续性的事态。 现在,作为人类第一个面临地球极限的一代,我们有必要像古代的人们那样,以“大地母亲”、“生命之母”为中心,恢复再生循环、与自然共生的状态。
日语原文:
旧約聖書、創世記第二章第22項には、女は男の肋骨の一本をとってつくられたと書いてあります。女性にとっては面白くないことではないでしょうか。したがって、旧約聖書の記述がシュメール語の誤訳に起因するものであったとすれば、女性にとって好ましいことではないでしょうか。
女性に限らず、誰しも“男(アダム)の肋骨から女(イヴ)が造られた“と書かれているのをみると、なぜ“肋骨”なのか、奇異に感じると思います。私もその一人でしたが、ある時調べてみました。
調べていくうちに、へブライ語で書かれた旧約聖書の内容には、紀元前3,500年頃から約1,000年続いたメソポタミアのシュメール文明時代の神話・伝説の残響がみられるということがわかりました。これは、創世記がシュメール語からヘブライ語に翻訳されてつくられている部分が多いということを意味します。
シュメール語で書かれたメソポタミアの世界最古の物語、ギルガメシュ叙事詩の中には、創世紀にあるノアの箱舟の大洪水と同じような話があるのです。
創世記に書かれている“肋骨の女”に相当するシュメール語は、その音価で“Nin-Ti ”といいます。“Nin”は女性を意味します。そして“Ti ”にはいろいろの意味があるなかで、ヘブライ語の語り手は、Ti を‘肋骨’と訳してしまったのが間違いのもとです。
結論から言うと、‘肋骨’の女ではなく、「“命あるものの母としての”女性」と訳すべきであったと私は考えます。
シュメール・アッカド語対仏辞典 によると、Ti には異なったいくつかの意味があるのです。身体あるいは構造体の一部を表すときには、“肋骨”あるいは“船の竜骨”などを意味します。しかし同時に、“生命ある”、“生きる”、“癒す”、という意味もあるのです。
したがってヘブライ語の語り手は、“生命ある”の方を使うべきであったわけで、Ti に肋骨という意味があったからといって、アダムの肋骨をとってイヴをつくったと言わなくてもよさそうなものです。
ちなみに、Ti を二つ並べてTi-Ti とすると、乳房、豊かな胸、Ti-AMATは海という意味になります。いずれにせよ、Nin-Tiは“生命あるものの母としての女性”と訳す方が自然です。
しかし、“生きとし生けるものすべての母”と訳すと、母なる大地、豊穣の女神、地母神崇拝、水神、天候を司る神など多神教につながり、ヘブライの一神教の世界では都合が悪いので、あえて肋骨の女と訳したのかもしれません。
ユダヤ教、キリスト教以前のメソポタミア文明、クレタ島のミノア文明、古代ギリシャ文明そして日本の縄文文明など古代文明圏では、自然の生命の源として、また同時に死すべき命の墓としての大地、永遠の生命の再生・循環を司る女神すなわち地母神=“命あるものの母”として女性をみていました。
キリスト教という一神教を中心とする西洋文明、そして西洋化された社会は、自然を征服すべきものとして破壊を続けてきた結果、地球環境は人類の持続可能性が脅かされる事態にまでなってきました。
いまや、地球の限界に直面した人類最初の世代として、わたしたちは古代の人々のように、“母なる大地”、“生命あるものの母”を中心とする、再生・循環、自然との共生に立ち戻る必要があるのではないでしょうか。